どんな時に人は「死にたい」と思うのだろう
死とはなに?
自分が「生きる」ことへの執着心が低いせいか、よく「死ぬ」ことを考えます。
考え始めると、こんな怖いことはなくて、死ぬことが怖くなります。
死の定義が難しいのですが、決して脳死がどうのとかと言う医学的なお話ではありません。
どちらかと言うと宗教観に近い輪廻転生のようなものでしょうか?
人は死んだら、輪廻転生するのか?それとも天国(や地獄)に行くのか?人が絶望しないためには、輪廻転生や天国に行けることを考えることは、その苦痛の大きさからは当然かもしれません。
80歳になる母親は「死にたくない」と言います、長生きしたいと。
歳を取ると覚悟ができるのかな?と思ったりするのですが、どうやらそうでもないようです。
母は会う度に「自然に死にたい、癌になっても告知をして欲しくない」と言っています。
自分はどうなんだろう~とそんな時にふと思います。
もし人間が不死だったら?
それは願望であり、だから吸血鬼のような不老不死の怪物を想像してみたり、クローン人間を想像?創造?してみたりするのだと思う。
でもそれって、A.I.化されたアンドロイドとなにが違うんだろう~と。
このあたりは、スティーヴン・スピルバーグ監督の『A.I.』は一つの回答で、人間が不老不死になることはないし、人の生きがいは、限りある人生だからとも言える。
確実なことは、今の段階では肉体が滅びることが死なのは間違いないということです。
映画『永遠の僕たち』 RESTLESS
ガス・ヴァン・サント監督の『永遠の僕たち』は、主人公が自らの臨死体験から霊が見えるようになり、死にとらわれるようになり、見ず知らずの故人の葬式に参列することを繰り返す少年。
ある葬式で余命3ヶ月の少女と出会うことで、少年は死を違うとらえ方をし始める。
決して死というものを後ろ向きにとらえず、いつかは訪れるもの。
でも一つ一つの命には価値があることを教えてくれる作品です。
監督■ガス・ヴァン・サント
製作■2011年/90分/アメリカ
出演■ヘンリー・ホッパー/ミア・ワシコウスカ/加瀬亮
死にたい
何度か思ったことがある、でも具体的な行動に出たことはない、そこまでの勇気はなかったと言うべきか、それともそれ程強い願望ではなかったのかもしれない。
若い頃の死にたいは、生きることが「辛い」の思い。
それはいじめであったり、家庭での親子関係が上手くいかなかったり、勉強が思うようにならなかったりだった気がする。
やはり大きいのはいじめの問題かな?
単純にいじめと言うと、友だちから仲間外れにされたり、嫌がらせされたり、暴力を振るわれたりだけど、もっと精神的な孤立感も有るのかなと。
映画 アニメ『聲の形』 The shape of voice
小学生の時、聾唖の少女が転校してきて思わずいじめてしまった。
友人の裏切りで、いじめの責任を一人に負わされてしまった主人公は、5年後、周囲から孤立して自殺を決意した主人公の少年は、かつていじめた少女に会いに行く。
いじめという問題に向かい合い、少しずつ家族や友人に触れながら一歩前進する少年の姿を感動的に描いた作品。
詳しくは「映画『聲の形』 ストレートに伝わらない心の声」をどうぞ
監督■山田尚子
アニメーション制作■京都アニメーション
原作■大今良時
脚本■吉田玲子
キャラクターデザイン■西屋太志
製作■2016/129分/日本
声の出演■入野自由/早見沙織/悠木碧
自分の場合はなかったけど、社会人の自殺は仕事に追い詰められてと言うケースが多いように思える。
最近はそうでもないけど、仕事量とその責任に押しつぶされて自殺するサラリーマンは何人かいた。
これはちょっと想像がつかないけど、借金苦からなのか・・・でも今の日本で死ぬほどお金に困ることはあるのかな?
自己破産と言う手段もあるし、逆に良心の呵責から自殺してしまうのかもと。
でも、お金に困るということは人を追い詰めていく・・・少しでも働く意欲があればよいけど。