1960年
2月~6月 映画『若者のすべて』の撮影。
9月 映画『若者のすべて』がヴェネチア映画祭に出品され、審査員特別賞・国際映画批評家連盟賞を授賞
12月 ローマのエリゼオ劇場でテストーリの『アリアルダ』上演。
1961年
2月 ミラノで『アリアルダ』が上映禁止となる。
3月 パリのテアトル・ド・パリで『あわれ彼女は娼婦』を上演。
6月 スポレートのヌォーヴォ劇場で楽劇『サロメ』を上演。
11月 シチリアに映画『山猫』のロケハンを行う。
1962年
2月 オムニバス映画『ボッカッチオ’70』が公開。ヴィスコンティはその中のエピソード『前金』を担当(主演はロミー・シュナイダー)
1963年
2月 パレルモのマッシモ劇場でオペラ『庭園の悪魔』を上演。
3月 映画『山猫』がカンヌ映画祭に出品され、グランプリを授賞
6月 スポレートのヌオーヴォ劇場でオペラ『椿姫』を上演。
7月 スポレートのカイオ・メリッソ劇場でジイドの『十三番目の木』を上演。
オーソン・ウェルズ、ロベール・ブレッソンらとディノ・デ・ラウレンティス製作の『天地創造』の1エピソードを担当する予定であっが、最終的にジョン・ヒューストンが一人で演出することとなる。
1964年
5月 ローマのオペラ座でオペラ『フィガロの結婚』を上演。
9月 モスクワのボリショイ劇場で『イル・トロヴァトーレ』を上演。
11月 ロンドンのコヴェント・ガーデンで『イル・トロヴァトーレ』上演。
1965年
1月 パリのデュ・ジムナズ劇場でミラーの『転落の後に』を上演。
9月 ヴェネチア映画祭に映画『熊座の淡き星影・・・』が出品され、金獅子賞を授賞。
10月 ローマのヴァレ劇場でチェーホフの『桜の園』を上演
11月 ローマのオペラ座でオペラ『ドン・カルロ』を上演。メトロポリタン歌劇場からビゼーのオペラ『カルメン』の出演を依頼されるが、実現せず。
1966年
3月 ウィーン国立歌劇場でオペラ『ファルスタッフ』を上演。
4月 ロンドンのコヴェント・ガーデンで楽劇『ばらの騎士』を上演。
1965年~1966年
ロベルト・ムジールの『若きテルレス』、『マリア・タルノフスカ』等の映画化を検討する。
1967年
2月 オムニバス映画『華やな魔女たち』(ヴィスコンティはその中の『疲れ切った魔女』のエピソードを担当)が公開
4月 ロンドンのコヴェント・ガーデンで新演出のオペラ『椿姫』を上演。
6月 フィレンツェのビッティ宮でゲーテの『エグモント』を上演。
9月 映画『異邦人』(カミユ原作)が公開。
10月 チェゼーナのポンチ劇場でテストーリの『モンツァの尼僧』を上演。フィレンツェ五月音楽祭で、オペラ『オテッロ』を演出する話があったが、実現せず。
現代翻訳版の『マクベス』の映画化、音楽家プッチーニの伝記映画『見知らぬ者の肖像』、プルースト作品の映画化を検討し始めるが、どれも実現せず。
年末 映画『地獄に堕ちた勇者ども』の原案をまとめる。
1969年
2月 ミラノのサン・パビラ劇場でギンズブルグの『インセルツィオーネ』を上演。
3月 ウィーン国立歌劇場でオペラ『シモン・ボッカネグラ』を上演。
10月 映画『地獄に堕ちた勇者ども』が公開、ヨーロッパ各地で大ヒットとなる。
1970年
メディオーリと『世にも怪奇な物語』のエピソードとして『メルツェルの将棋指し』を準備するが、実現せず。
1971年
3月 ロンドンで映画『ベニスに死す』のプレミア上演。
プルースト原作の『失われた時を求めて』映画化の準備をすすめる。
1972年
1月~4月 映画『ルートヴィヒ~神々の黄昏』のドイツ・オーストリアでのロケを行う。
7月27日 ローマのエデン・ホテルで製作者達と新作を検討中、発作で倒れる。
9月 スイスの病院を退院し、チェルノビオの別荘で、映画『ルートヴィヒ~神々の黄昏』の編集を完了。スカラ座でワグナーの『ニーベルンクの指輪』の演出を計画するが、病状が芳しくなく断念。
1973年
1月 西ドイツのボンで、映画『ルートヴィヒ~神々の黄昏』のプレミア上映。
1973年~1974年
プルースト原作の『失われた時を求めて』とフィッツジェラルドの妻の伝記映画『ゼルダ』の映画化を断念する。
1974年
4月~7月 映画『家族の肖像』を撮影。
12月 映画『家族の肖像』公開。
1975年
トーマス・マンの『魔の山』とダヌンツィオの『快楽』の映画化を企画するが、実現せず。
4月 転倒して肩と脚を骨折、数ヶ月間の病院生活を送る。
9月27日 ダヌンツィオ原作・映画『イノセント』の撮影開始。
1976年
1月 映画『イノセント』の撮影完了
3月17日 ローマのフレミング街のマンションで死去。
3月19日 聖イグナチウス教会で葬儀が行われる。
5月 カンヌ映画祭で映画『イノセント』が上映。