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映画『夏の嵐』 ヴィスコンティの耽美趣味が見え始める

映画『夏の嵐』 SENSO


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ヴィスコンティの見事なまでなメロドラマ

1999年に渋谷BUNKAMURAル・シネマで観ることが出来た、この時はフランス語版。
観終わって、なんて幸せなんだろう!と思わずにはいられなかった。
物語は決して幸福な話ではない、むしろ悲劇的な最後に終わる。
それでも、心の中はある種の幸せで満たされてしまう作品なのだ。

この作品に対して、ヴィスコンティは2つのテーマを持って取り組んだらしい。
一つはイタリアの解放戦争を舞台にした政治的なドラマ
もう一つは、男女の情愛を描いたメロドラマ
ヴィスコンティの意志は、もっと政治的なドラマに作りたかったらしいが、ラスト・シーンを含め、検閲等の問題で思い通りには撮れなかったらしい。
その点を踏まえても、この作品は素晴らしいの一言に尽きる。

映画が始まって、延々とオペラのシーンが映し出されるが、そのオペラ自体も素晴らしいのだが、それを背景としてドラマを進めていく凄さ。
オペラはイタリアのある種、文化の象徴であり、その劇場で独立派がビラを巻くシーン、それはイタリア独立の雄叫びのようでもある、と併行にアリダ・ヴァリ演じる伯爵夫人リヴィアの立場と、そしてファーリー・グレンジャー演じるオーストラリア将校マーラー中尉との出会いが描かれる。
やはり、ヴィスコンティの作品は、人物なのである。
オペラやその劇場のセット、後のイタリアの田園風景、ヴェネチアの街並み、それらが素晴らしいにも関わらず、全てを背景に収め、人間ドラマとしての物語を描く上手さはヴィスコンティならではで有る。

次第に、ヴァリとグレンジャーの不倫の愛が燃え上がる。
ヴァリは無垢な愛を感じさせ、グレンジャーの愛には、どこか打算を感じさせる。
しかし、ヴァリにしてもグレンジャーにしても、無垢なようで激しく、打算的なようで溺れていく、そんな愛の両面を描いていく。
そう、愛とは不倫であろうがなかろうが、決して単純なものではないのだ。
ヴァリ演じる伯爵夫人リヴィアは、イタリア解放への理想が愛の前で崩れ去り、自ら持つ誇りを失っていく。
まるでイタリアが不遇の時代から、独立へと希望に満ちあふれていくのとは正反対のように。

グレンジャー演じるマーラー中尉も、イタリアを支配する側のオーストリアのエリート将校でありながら、愛に溺れ、また打算に溺れ、彼もまた自分の誇りを失っていく。
愛のためには全てを犠牲にした二人、その事によって二人は破滅へと向かっていく。

ラストのグレンジャーがヴァリを罵倒するシーンの醜さ、自分の愛を見失い、全てを失い怒り狂って愛人(グレンジャー)を死に追いやるヴァリの恐ろしさ、愛の深さと繊細さが伝わってくる。
ヴァリは無垢な女性から、徐々に情念的な女性へと、そして最後は恐ろしい女に変貌していく様を見事なまでに演じきる。
この演技は、ヴァリの一世一代の演技と思わせる。
グレンジャーの優男ぶりと繊細さも光る。

ヴィスコンティは、この見事なまでのメロドラマ、人間のドラマを、奥行きのある深い映像と音楽で包みながら、あくまで人を魅せる事に集中している。
人間、愛の脆さ、危うさを描きながらも、それを観る私の心は満たされていく...

 

映画『夏の嵐』のデータ

SENSO/LIVIA WANTON CONTESSA 126分 1954年 イタリア

監督■ルキノ・ヴィスコンティ
製作■ドメニコ・フォルジェス・ダヴァンツァーティ
原作■カミッロ・ボイト 『官能』
脚本■スーゾ・チェッキ・ダミーコ/ルキノ・ヴィスコンティ
脚本協力■カルロ・アリアネッロ/ジョルジョ・バッサーニ/ジョルジョ・プロスペーリ
英語台詞■テネシー・ウィリアムズ/ポール・ボウルズ
撮影■G・R・アルド/ロバート・クラスカー
音楽■アントン・ブルックナー 『交響曲七番』/ジュゼッペ・ヴェルディ 『イル・トロヴァトーレ』
音楽指揮■フランコ・フェルラーラ
音楽演奏■RAI・TVオーケストラ
編集■マリオ・セランドレイ
美術■オッタヴィオ・スコッティ/ジーノ・ブロージョ
衣装■マルチェル・エスコフィエール/ピエロ・トージ
助監督■フランチェスコ・ロージ/フランコ・ゼッフィレッリ
製作会社■ルックス・フィルム
備考■テクニカラー
日本公開■1955年
出演■アリダ・ヴァリ/ファーリー・グレンジャー/マッシモ・ジロッティ/ハインツ・ムーク/リナ・モレッリ/クリスチャン・マルカン/マルチェッラ・マリアーニ/トーニオ・セルヴァルト/セルジョ・ファントーニ

【解説】
 だって原題が「官能」(19世紀末のカミッロ・ボイトの短編小説が原作)だもの、もう、その通り。オペラ座の舞台から始まる、この絢爛たる恋の絵巻は、後期のヴィスコンティの耽美趣味が既に顔をだしながらも、やはりネオ・レオリズモで鍛えた直截な描写力が活きていて、全くヴァイタルなメロドラマになっている。
 1866年、オーストリア軍占領下のヴェネツィアで観劇中の軍の将校と抗戦運動の指導者の侯爵との間に決闘騒ぎが起り、それを諌めに入った伯爵夫人は、従弟である侯爵を流刑にされながらも、その美貌の将校に狂おしく恋をする。再び戦争が勃発し、密入国した侯爵は従姉のもとを訪ね軍資金の保管を依頼するが、夫人はその金を、将校に軍籍離脱の賄賂のためにと渡してしまう。祖国は敗れ、ヴェロナにいる彼の元に馬車を急がせた夫人の見たものは……。
 薄汚れた姿で恋人を探して兵舎を訪ね回る夫人=A・ヴァリの激情は、トリュフォーの「アデルの恋の物語」のI・アジャーニの比ではない。G・R・アルドと彼の死で途中交代したR・クラスカーのキャメラのゴージャスさ、全篇に響き渡るブルックナーの第七番。これぞイタリア映画というボリュームで観る者を圧倒する、ヴィスコンティの最高傑作。映画データベース - allcinema より)

 

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